1997-03-13 第140回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号
ところが、一九七〇年代に入りますと、これは南関東とは言えませんが、南関東の西のへり、伊豆で伊豆半島沖地震というのが一九七四年に始まりまして、それがどんどん活動が北に上がってきまして、現在見られるような伊豆東方沖の地震につながっていったわけでございます。
ところが、一九七〇年代に入りますと、これは南関東とは言えませんが、南関東の西のへり、伊豆で伊豆半島沖地震というのが一九七四年に始まりまして、それがどんどん活動が北に上がってきまして、現在見られるような伊豆東方沖の地震につながっていったわけでございます。
例えば、原子力発電所の安全問題だとか、一九七四年の伊豆半島沖地震で活断層が動いてということを新聞が報道したりしましたもので、活断層というのは何だということでちょっと世の中の注目を浴びまして、それで我々活断層をやっていた者が、余り連絡が悪くてもいけないというので連絡をとり合って活断層研究会というものをつくりました。
まず山地斜面の崩壊、これは強い地震動によりまして山地の急斜面が崩れまして人家などを埋没するものでございまして、ここに書いてございますような伊豆半島沖地震、あるいは伊豆大島近海地震のときに、伊豆半島の各地で発生をいたしまして大きな被害を出しました。この二つの地震による死者は、すべてがそのような斜面崩壊の犠牲になったと言ってもいいと思うのです。
例えば伊豆半島沖地震というのが一九七四年にございましたけれども、これはたまたま非常に飛行機から見るとよく見える写真が撮られておりまして、非常に明瞭な活断層です。地震というものは、太平洋沿岸の地震は低角の逆断層ですけれども、内陸の地震は逆断層もあれば正断層もあれば横ずれもあります。例えば余震を見てもちゃんと線の上に並んでおります。
ただ、小田原地域といいますか、神奈川県西部は、一九七四年以来、伊豆半島で、伊豆半島沖地震、伊豆大島近海地震、それから一九八〇年には伊豆半島東方沖地震が起こっておりまして、非常に活発な状態を続けましたその北側の隣接地域でございますので、私どもとしても、この地域は観測をかなり集中して現在注目はしております。
昭和四十四年から地震予知連絡会で問題にされてまいりましたこれらの問題について、昭和四十九年にマグニチュード7前後の伊豆半島沖地震が起こりました。そして昭和四十九年中に、同年中に観測強化地域に指定されたのであります。 この理由は、御前崎から駿河湾にかけて、ここ数十年の間に著しく北西の方向、御前崎方面から榛原郡、焼津市の方に向かって地殻が押し縮められているのであります。
なぜこういうことを言うかといいますと、前に伊豆半島沖地震がありました。これは気象庁のあれでは震度四です。それから伊豆大島近海地震がありました。これも震度四です。このとき伊豆大島近海ではばちっととめたと思う。
これは一九七四年に伊豆半島沖地震というのが伊豆半島の南端にございまして、それから群発地震活動が中部に起こり、中伊豆に異常隆起を発生いたしました。昨年は伊豆大島近海地震が起こりまして被害が出た。さらに昨年の十二月ごろには伊東の南、川奈崎の辺に群発地震活動が起こっております。
それから十勝沖地震の場合には一億一千三百九十二万円、それから伊豆半島沖地震の際には一億一千九百十一万、その次の伊豆大島近海地震の場合には九億一千二百三十万、こういうふうに載っているわけです。
それから四十九年の伊豆半島沖地震に際しましては、二件で約二百万円。それから五十三年の一月十四日ですか、伊豆大島近海地震に際しましては、二十一件の三千四百万円でございます。
○西宮委員 ついでながら、ここ最近、たとえば昭和四十三年の五月の十勝沖地震とか、あるいは伊豆半島沖地震、これは四十九年五月ですね。あるいは五十三年、ことしの一月の伊豆大島近海沖地震とか、こういう例がありますが、そういう過去のケースについても数字をお持ちですか。
で開発した機械でございまして、これは神奈川県の油壺というところでやっているわけですけれども、数メーターの範囲で電流を流しまして真ん中から電圧をピックアップして調べる、これは非常に特殊な岩石でございまして、土地がわずかにひずみますと、それが電気抵抗の変化になってあらわれるときには一万倍ぐらいに拡大されるという、俗にナマズ岩と称する岩なんでございますけれども、これは大変うまい話でございまして、たとえば伊豆半島沖地震
それから、ごく小さい問題でございますが、この間接災害の一例といたしまして、主に国民金融公庫からの融資を受けている例でありますが、実は四十九年の五月九日に伊豆半島沖地震がございました。そのときの金利は八・九%でございます。
まあいろいろの説をなす者がございますが、実情としては、こうだからこうという、非常にはっきりしたことはただいま申し上げられない段階でございますが、とにかくこういった出来棄が続いてございましたので、また過去四年、伊豆半島沖地震以来いろいろの、地震のほかに土地の隆起とかあるいは微小地震の群発とか、非常に起こっておりまして、つまり地殻活動が続いておるのでございますので、今後、現在までにも相当観測は強化されておりますが
この地域で、この要望書には上がっていないのですけれども、すでに四年前の伊豆半島沖地震以来救出と復旧の先兵になると申しますか、そのときにフル回転しなければならないのが、これが消防力の問題になってくるわけであります。
伊豆半島は昭和四十九年のマグニチュード6・9の伊豆半島沖地震、昭和五十一年の河津地震と、今回で四年間に三回、そのほかに局地的な動揺はあったんですね。そうなりますと住民はいたたまれない。
伊豆半島は、御承知のように、最近、連続して自然災害を受けておりまして、特に昭和四十九年五月に伊豆半島沖地震、五十年の十月に集中豪雨、この二回の災害はいずれも激甚災害の地域指定を受けて救済措置がとられておりますが、越えて五十一年の八月に河津町の局地地震、同年の十月にまた集中豪雨に襲われるというたび重なる災害の連続であります。
静岡県におきましては、昭和四十九年五月の伊豆半島沖地震被害と同七月の七夕豪雨、五十年十月の大雨、五十一年七月の大雨の三年連続の水害により県下各地で多数の死傷者を数えるとともに、公共土木関係を初め農地、森林、家屋などに甚大な被害をこうむったのであります。 これら災害から日時を経た現在、災害の復旧は各分野とも概して順調に進んでいるようであります。
静岡県は、御案内のとおり過去歴史上にも幾たびか大きな地震に見舞われておりますが、ここ半世紀の間でも昭和五年から七四年五月伊豆半島沖地震まで六回ほどあります。それだけに震災を経験した人々が大変多いわけでありまして、大きな関心が持たれているわけであります。
○原田説明員 伊豆半島では伊豆半島沖地震に引き続きまして、五十年秋ごろから伊豆半島の東部、中部で微小群発地震が発生いたしました。その後地殻の異常な隆起も観測されました。したがって、関係機関が協力いたしまして、鋭意この地域の調査観測を進めてまいったところでございます。その結果、現在までの調査によりますと、五十一年八月以降は、土地の隆起がそれまでに隆起した状態をそのまま保ってストップしました。
○工藤良平君 私どもの把握しております範囲では、私、昨日、伊豆半島沖地震の被害の状況を資料としていただいたわけですが、これと比較をしてみますと、幸いにいたしまして死者、行方不明というのはありませんで、私の方には人的な被害というものはきわめて少なかったということは不幸中の幸いでありまして、全壊、半壊あるいは一部破損という数字を見ますと、ほとんど伊豆沖地震と大体同じぐらいの被害が出ているのではないかと思
いままでの、たとえばついこの間の伊豆半島沖地震で大きな被害を受け、壊滅状態になりました部落などにいたしましても、行ってみますと、そこは何年か前に大火災があって、その後に盛り土をし、整地をしたところに家を建てた、その結果そうなったというような状態を見ておるわけであります。
気象庁からいただきました最近の地震の概要を見ましても、たとえば新潟地震あるいは私の郷里でありますえびの地震、さらに伊豆半島沖地震、そしてごく最近の大分県中部の地震と、こういうふうに相次いで地震災害が起きておるわけでございます。
伊豆半島沖地震の震源は、最初気象庁が石廊崎から約十キロぐらいの沖合いであると、これは暫定的に発表いたしまして、その後各種の調査を進めまして、さらに最終的な電子計算機によります結果で、最初の暫定震源よりはもう少し陸上に近寄ったところであろうということを気象庁としては発表いたしました。
研究発表にはいろいろな性質のものがあると存じますが、今回問題になりましたのは、過去に起こった伊豆半島沖の地震についてなお学問的に各種の研究あるいは検討を加えた結果でございまして、よしんばこの二十二キロ沖合いということになりましても、伊豆半島沖地震の性格を大きく変え、あるいはこれが将来の防災に影響を与えるというほどの性質のものではないかと存じます。
○伊原政府委員 伊豆半島沖地震に関しましては、科学技術庁におきまして関係省庁と十分連絡をとりました上で、特別研究促進調整費によります特別研究のテーマに取り上げまして、ただいま調査を実施中でございます。
それから伊豆のあたりですけれども、ここは大きな地震は起こらないのでありまして、ことし伊豆半島沖地震がありましたが、最大級でもこの程度ではないかと思います。伊豆半島沖地震は、これは海が震源ということになっておりますが、実は陸の地震のクラス、タイプに分類したほうがいいものと思っております。